2020-06-18 第201回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号
御指摘の、中国とロシアの間の国境画定交渉でございますけれども、一九六〇年代、委員御指摘のとおり武力衝突にまで発展いたしましたけれども、一九八六年に当時のゴルバチョフ書記長が、河川の中国側対岸を国境とするというソ連の従来の立場を変更して、河川の主要航路を国境とすることが可能だという立場を表明いたしまして、翌一九八七年から国境画定交渉が再開されました。
御指摘の、中国とロシアの間の国境画定交渉でございますけれども、一九六〇年代、委員御指摘のとおり武力衝突にまで発展いたしましたけれども、一九八六年に当時のゴルバチョフ書記長が、河川の中国側対岸を国境とするというソ連の従来の立場を変更して、河川の主要航路を国境とすることが可能だという立場を表明いたしまして、翌一九八七年から国境画定交渉が再開されました。
その合意の内容について見ると、彼らが言うには、領土の割譲や引渡しではない、ロシアの領土の保全という憲法での規定に抵触しない、長期にわたる両国間の国境画定交渉で達成された原則に基づく国境線の画定である、これは、これを可能にしたのはロシアと中国が戦略的パートナーとして両国関係を国境問題の最終的解決を可能にする高さに引き上げたことである、こう言っているんです。
しかも、この平和条約交渉というものが実際上は国境画定交渉であるということを承知しながら、年内に交渉に応じよう、こういうことはかなり従来の立場からの変化であると思います。 一九五六年に共同宣言ができました。そのときにわれわれとしては平和条約を欲したけれども、しかし平和条約はできなかった。